2008年 12月 01日
小澤征爾xボストン響 シンフォニーホールで6年ぶり公演〜涙のわけは
ほっとするとともに、「また行ってしまったな」という寂しい気持ちと。
前BSO音楽監督・小澤征爾氏がボストンシンフォニーホールに6年ぶりに帰ってきた先週。
合せて4回のリハーサル、2回の本番ひとつひとつが真剣勝負で、マエストロにじりじり炙り出されるような熱い一週間だった。
写真下;小澤征爾指揮ベルリオーズ「幻想交響曲」3楽章、オフステージでのオーボエソロ、リハーサル風景。オーボエ奏者にとっては重要なソロである。

11月29日、BSO公演の前に「祝・小澤征爾シンフォニーホールカムバック」ということで、日本人向け特別レセプションが催された。ここで演奏とトークを、ということで出演。

日頃から、こういった本公演前のプレイベントには、ちょくちょく出演する機会はある。が、今回のイベントは日本人限定、しかも前もって400名を超える予約申し込みがあったそうで、いつもとは随分異なる大変な盛り上がり。ボストン近郊の日本人コミュニティ総出かというほどの人々が集まり、小澤パワーを見せつけた。

このイベントの中心となったBSOインターン内藤さんからは、「本番前なので小澤氏の登場はない」と聞いていたのだがーー。
開会直後、突然現れたマエストロ。

誰もが驚き、いや、私が人一倍、感激してしまったんだけど・・

小澤氏らしい、短いスピーチの後、帰ろうとするマエストロに聴いて頂きたくて、会の進行をすっ飛ばしてオーボエを吹いた。下の写真には、振り返って聴いてくれた小澤征爾氏の姿が小さく写ってますが、見えるかな。


演奏しながら、涙が溢れて止まらなかった。
言うまでもなく、小澤征爾という音楽家は特別な存在なのだ。
12年という歳月、BSO音楽監督とBSOオーボエ奏者として同じ組織の中にいた。
でもそこは、日本ではなく。
「アメリカ人として生まれたかった」とまでは言わないまでも、日本人で在るが故に味わった無念、悔しさ、苦労・・・これらは敢えて言うことではないし周囲に伝えきれるものでもない。
その私の何倍か、想像を絶する想いや経験を越えて尚、いや益々、小澤征爾は小澤征爾であり、周りや難しい状況をもろともせず前進し続ける。
これをアメリカの荒波の中にいて、見続けてきた。
もっと近くに、もっと追いつきたいという想いがあったが、音楽監督と楽団員、特に日本人同志という関係には常に目に見えない緊張感があった。
シンフォニーホールのリハーサル第1日目に舞台袖で、ばったり小澤氏と顔を合わせた時、
「おお、ケイスケ!」と、声を掛けられた。
久しぶりだな、元気でやってるね、といわんばかりの小澤さんの温かい声の響きが心の底から嬉しかった。
そんな下地があるから、突然登場したマエストロを前にして、体中にしみ込んでいるいろんなものが溢れ出るような気持ちになった。
でも、このイベントが終わった後にはもう、すっかりくたびれちゃって本公演のベルリオーズでは、今一つ本領発揮出来なかったような。うーん。
小澤征爾氏は行ってしまったけれど、明日から現音楽監督ジェームズ・レヴァイン、ピアノはかのダニエル・バレンボエムのリハーサル。
カーター生誕100周年の記念公演でもあるのだ。(夏のタングルウッドでもやったばかりなのにね)
頑張ります。

