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アメリカへの扉 / ミスター・ゴンバーグ

一昨日、昨年12月に亡くなった元ボストン交響楽団首席オーボエ奏者ラルフ・ゴンバーグ氏の追悼コンサートがあった。
ゴンバーグ氏を偲んで、氏と所縁ある著名人が全米から集まり、前BSO音楽監督、小澤征爾氏からの見事なフラワーアレンジメントがステージ前に飾られて、会場は静かな華やかさをも漂わせていた。
長年の感謝の気持ちを込めて、シューマンのアダージョとアレグロを演奏しながら頭をよぎった、氏との思い出を書いてみようと思う。(下の写真はコンサート終演後、ゴンバーグ未亡人と)
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ラルフ・ゴンバーグ氏と初めて会ったのは、中学3年生のときだった。

中学1年でオーボエを始めて1年ほどで既に
『アメリカ五大オーケストラのオーボエ奏者になりたい』ということを、はっきり意識していた。
当然はるか彼方に瞬く星のような、遠い遠い目標だったのだが。
でも思うことは自由だから、心の中で五大オケのオーボエ奏者を勝手に並べ立て、

シカゴ交響楽団の、レイ・スティル
ボストン響のアルフレッド・ジョナベース
フィラデルフィア管なら、リチャード・ウダムス
ニューヨーク・フィルならハロルド・ゴンバーグ
クリーヴランド管なら、マーク・リフシージョン・マック
(全て当時の所属・全員、『伝説の』と形容詞のつく大オーボイストである)

ヨーロッパなら、断然、パリ管、パリ音楽院のモーリス・ブールグ。

・・・に、もしもチャンスがあれば、オーボエを聴いてもらいたい!と無謀にも、しかし真剣に、考えていた。 


五大オケを初めて聴いたのは、確か中学2年生、シカゴ響の来日公演だった。
オーボエの恩師、新松敬久先生と小島葉子先生の師でもあった当時の首席オーボエ奏者、レイ・スティルが公演の合間にマスタークラスを開くというので、この時は、聴講生として聴きに行った。

それまで機会ある毎に、新松先生や小島先生からスティル氏のオーボエの素晴らしさについて、聞かされてはいたが、実際に目の前で聞く、スティル氏の音楽に

そうか、こんな世界が待っているのか!

と目から鱗がボロボロ落ち、椅子から立ち上がれなくなるほど衝撃を受けた。

家に帰って、この日から、
『すぐにでも、アメリカに行きたい!中学校はやめてもいい!』と言い出し、両親を困らせた。

待ちに待った次のチャンスは当時の音楽監督小澤征爾率いる、ボストン響の来日公演だった。中学3年生になっていた。
いよいよだ、と今度は楽器を携えて、一人でコンサートを聴きに行った。
お目当ては先にも書いたが、当時のボストン交響楽団の副首席オーボエ奏者アルフレッド・ジョナベースである。
何故、当時のボストン響首席オーボエ奏者だったゴンバーグ氏より、副首席のジョナベース氏だったのかというと、持っていたマルボロ音楽祭のレコードのジョナベースのオーボエがあまりに美しく、宝物のように大切に聴いていたレコードだったからとしか言いようがないのだが。

さて、その日のプログラムは、小澤征爾指揮、ベルリオーズの『幻想交響曲』だった。
ジョナベースの有名なオフステージのオーボエソロは、ホールの天井を突き抜けていくかのように、伸びやかに響き、感動的だった。
終演と同時に脱兎の如く走って、ステージドアまで行き、公演を終えた楽団員たちが出てくるのを待った。ジョナベースが出てくるところを捕まえて、何度も練習した英語のフレーズで
『素晴らしい演奏でした。ボクはオーボエをやっています。すこしでいいですから、聴いてもらえないでしょうか』
と、歩み寄った。

どっしり太ったジョナベース氏は、とっても気さくに
『いいよー。じゃ、一緒にバスに乗って、ホテルまでおいで』といってくれた。

さすがに、それでは所在無いと思い、タクシーを拾い運転手に楽団員たちを乗せたチャーターバスを追いかけてもらった。

ホテルに着き、駈足でエスカレータを上がった。
まだ数人の楽団員が楽器片手にロビーで談笑していて、そのうちの一人に『オーボエの人と会うことになっているのです』というと、部屋番号を教えてくれた。

教えてもらった部屋の前。ピンポーンとベルを鳴らす。

がちゃ、と扉が開いた。

・・・『あれっ!』

そこに立っていたのは太っちょのジョナベースではなく、首席オーボエのラルフ・ゴンバーグだった。
名前を告げず『オーボエの人』と言ってしまったので、てっきり首席オーボエのゴンバーグ氏のことだと思って彼の部屋を教えてくれたのだろう。
・・・無理もない。

ゴンバーグ氏も、楽器を抱えて突然訪ねてきた中学生を快く迎え入れてくれ、結局オーボエを聴いてもらうことになった。

不思議と緊張はしなかった。
自分はまだまだ未熟だけれど、夢中で未来を模索していてそこに辿り着く、手助けをしてくれそうな人の前で演奏できるなんて嬉しくて仕方が無かった。
曲の途中で遮られて、彼は言った。

『タングルウッド・ヤングアーティスト・インスティテュートというのがあって君のような若い生徒が世界中から集まってくるよ。すぐにテープを作って、オーディションを受けなさい。タングルウッドでレッスンをしよう。待ってるよ』

その具体的なアメリカへの、未来への案内に、興奮し心躍ったことを今でも良く覚えている。

それから1年余り、高校2年の夏、晴れて、特待生というオマケ付きで単身タングルウッドへ留学できることとなった。
そして、ここがスタートとなって、まあ、それからいろんな事があったが今に繋がっていると言っても過言ではない。

ちなみに中学3年生のあの日、手違いでゴンバーグ氏の部屋に行ってしまったのだったが、彼の部屋を出た後、ダッシュでフロントへ行きどうしても会いたかったジョナベース氏の部屋を教えてもらい彼にもオーボエを聴いてもらったのだった。
・・・初志貫徹。生まれつきの、モットーである。

タングルウッドでは、ゴンバーグ、ジョナベース両氏に師事し、大変お世話になった。

ゴンバーグ氏のあの『タングルウッドにおいで』という言葉は、まさにアメリカへの、未知の世界への扉だった。
氏のタングルウッドでのレッスンは、初めてアメリカに来た英語の全く出来ない日本人の高校生、を相手にした生半可なものではなく、それはそれは厳しいもので、プロへの道は遠く甘いものでは無いという事を一から叩き込まれた。

ミスター・ゴンバーグ。本当にありがとうございました。
心からご冥福をお祈りします。
by wkboston | 2007-02-06 16:13 | BSO入団までのこと