2011年 09月 07日
若尾眞一 神の国へ送る会 〜 たくさんの花と音楽で見送りたい
代官山ヒルサイドプラザホールにて父、若尾眞一を「神の国へ送る会」を開いた。
親族だけで密葬は済ませていたので、いわゆるお別れの会。
でも「お別れ」という言葉は使いたくない。またいつの日か会えるのだから。

小雨降る晩夏の代官山。
ここに120名を越す方々が父を見送るために集まって下さった。心から感謝である。
開場前の受付の様子。ボストン交響楽団や指揮者の大友直人氏、オーボエキャンプの生徒達、親戚、友人知人からたくさんのお花が届いていた。

案内には「平服でお越し下さい」としたものの、黒い服でお越し下さった方が殆ど。内心驚いたワカオ家だったのだ。「何でもありのアメリカとは違う‥・。」

司会進行は元テレビ東京アナウンサーの横井弘海さん。父とも交流があった長年の友人の横井さんは適任だった。爽やかに粛々と会は進んでいった。

開会挨拶後、トップバッターは娘のヴァイオリン演奏。ゴセックのガボットを緊張の面持ちで弾く5歳の娘。でもちゃんと、音楽が聴こえていたよ。

次に私。父も好きだった曲、サンサーンスのナイチンゲールを心を込めて。

恩師、新松敬久先生とボストン留学中で丁度帰国していた工藤美里さんと共にJ.S.バッハのアリア「羊は安らかに草を食み」。ピアノは妻。

そして秋葉正二牧師による礼拝。前夜祭(お通夜)のとき父の亡骸の傍らで秋葉先生の仰った「キリスト教では死は終わりではなく神の国に行くこと」という一言で心の平穏が保てた。
当初この会は自宅から程近い代々木上原教会で執り行なう予定だった。
案内状をメール発信する直前になって、普段意見を言わない母が
「パパにとって思い出の多いヒルサイドテラスで出来たら嬉しい。」と言ったことと参会者の数が予想以上に多くなりそうだったので急遽変更したのだ。
教会ではなかったからこそ、この祈りの時間は会の大切な目的のひとつだった。

スピーチのトップは中学時代の友人、磯 宏志くん。
野球を筆頭に水泳やリレー、悪さなど何でも一緒にやった「いっくん」ほど人間味のある男はいない。
立派な肩書きの皆様もたくさん来て下さっている中でも、やっぱり父を良く知る「いっくん」に最初に話してもらわなければならない。
いっくんが話始めた途端、涙が止まらなくなった。

今や日本を代表する作曲家、猿谷紀郎さん。ニューヨーク留学中からの友人で一緒にテニスばっかりやってた仲間。当時から父が「絶対に仲良くしておけ。」と信頼を置く猿谷くんだった。

生前、父が大動脈破裂の大手術を受けた後にお世話になった榊原記念病院最高顧問、細田瑳一先生。
榊原記念病院に入れて頂きリハビリに励んでいた父の様子を語って下さった。
再起を図ろうとしていた父の姿が少し悲しく、見えてくる気がした。

ベインキャピタル会長、堀新太郎氏は父と面識がなかったのだけれど流暢に心を打つスピーチをして下さった。堀さんはボランティアで、ある末期がん治療の支援をしていらっしゃり、父の生前いろいろと相談させて頂いた。
とはいえ限られた情報から想像力を利かせ、的のど真ん中を突くお話。感動しました。

スピーチのトリは代官山ヒルサイドテラスオーナー、朝倉徳道氏。
一目瞭然のことながら、朝倉ご夫妻のお力がなければ、こんなに華やかな思いを込めた「神の国へ送る会」は開催出来なかった。
14年前から日本での音楽活動を支援して下さっているご夫妻と出逢うことがなかったなら、私の人生そのものが今とは全く違うものになったと思う。この度は個人的な父の会のサポートまでして頂き、決定的である。
徳道氏がさりげなく「これからはお父上が天からいつも見ていて言葉を送ってくれるでしょう。ボストンから離れないようにとか‥」と仰ったことが胸に残った。

この後ヘンデル「ラルゴ」、ルイエ「オーボエソナタ1楽章」を妻と演奏して前半終了。
フレンチレストラン「パッション」の軽食と飲み物が運び込まれて歓談タイム。
たくさんの方にご挨拶する。
下の写真は、朝倉徳道様、美子様ご夫妻、NHK交響楽団ファゴット奏者、水谷上総氏、コシノジュンコ先生と鈴木弘之氏ご夫妻、長年の良き友人で東大病院医師、下澤達雄氏と。

日本漫画家協会会長、小島 功氏による献杯。ご存知「黄桜」の河童の作者で、現在も連載を幾つも抱える忙しさの中、父の為に来て下さったのだ。小島先生ご夫妻とは私より両親との交流が深い。

この後も少しばかりスピーチと演奏があって、いよいよフィナーレ。
母がとつとつと御礼のご挨拶。


正解だっただろう。(苦笑)

私と正反対なタイプの父は、さして野心家でもなく、真正直で小狡いことは一切しない人だった。
ただ、短気なところだけは同じで怒ると底なしの迫力があったから、子どもの頃は外では好き勝手する暴れん坊な私ではあったけれど、常に何処かで父の目を気にしていて道を踏み外すことはなかったし、ついぞ家の中では反抗期というものさえなかった。
オーボエを志すようになってからは次々レッスン費や楽器関連代金、学費や旅費が必要になったけれど、全く現実的にならずに、いつも「良いよ。頑張れ。行ってこい。」と言い続けてくれた。
真当に真直ぐに生きてこられたのは、父のおかげだと今、心から思う。
眞一さん、ありがとう。
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このブログ記事をまとめるのに2日かかった。
会の準備と開催のエネルギーは、父の死を巡る想いに区切りをつけてくれたけれど、ブログを書きながら再度いろんなことを思い返していたら、またひとつ気持ちの整理がついた気がしている。
こうして前に進んでいくものなんだろう。まだ少し重みを感じつつも。
尚、写真は全て黒田洋司さんが撮影してくれました。多謝。

