人気ブログランキング | 話題のタグを見る

父を神の国へ見送ったこの夏のこと

2011年7月25日朝、父が亡くなった。

最初に大きな手術をしてから4年余り、いつかこの日が来ると少しずつ覚悟を固めてきたつもりだった。
亡くなる3週間前に退院させてもらい、自宅で訪問看護やヘルパーの皆さんの力を借りながら母、妻、5歳の娘が看護に当った。
私はただただ、父のベッドの側でリードを削ったり、ちょこちょこと練習したり、父が起きている時はいろいろな話をした。
最早求めても叶わない、父との最後の時間だった。

夏はBSOにとってタングルウッド音楽祭のある忙しくも大切なシーズンだが、弱々しく横たわる父を残してアメリカに戻ることはどうしても出来ない。
入団以来勿論初めて、長期休暇を取り付けた。
BSOとて組織だから、急に空いた穴を一時的に埋めるオーボエ奏者を見付けることはそう難しいことではない。
それよりあの父との二度と戻らない儚いひとときを振り切って仕事に戻ったところで、
何のための音楽だろうか。誰の為の人生かと私は思ってしまう。

が、代役で乗り切ってはならない、何としても出なければと思う公演もある。
7月末はアジアフィルハーモニー管弦楽団出演の為の休暇を予め取ってあった。父が亡くなってすぐにリハーサルの為、韓国入りしてアジア3カ国でのコンサートツアーも予定通りこなした。
生前、父も楽しみにしていた8月2日のサントリーホールでの公演には日本の多くの友人知人が聴きに来てくれた。きっとホールの天井あたりで父が見ているという気がして、ブラームス1番のソロでは渾身の想いを込めた。
アジアンフィルのツアーの後は、タングルウッドで私自身が企画した室内楽コンサートやクーパーズタウン音楽祭の出演が決っていたので、10日間ほどアメリカに戻ってBSO公演を含めた怒濤のコンサート活動をしてきた。
父を神の国へ見送ったこの夏のこと_f0128982_0192883.jpg

それから日本へ戻って先週日曜日、「父を神の国に送る会」。
今の私が出来る限りのことをして見送りたい、その一心で開催した会だった。

人が一人亡くなっても、コンサートはいつものように幕が上がる。
何も変わっていないように見えるけれど、私の心の底にはくっきりと節目が出来た。

長くなったので、多くの方にお越し頂いた「神の国へ送る会」の様子は次回、書きますね。
by wkboston | 2011-08-28 00:44 | やっぱり、日本