2007年 04月 22日
これだ!
オーボエキャンプやマスタークラスは別だが、長期間教えていくには、初心者は日程的にも精神的にも少々キツイ、が本音である。
ところが今日、人生初のオーボエレッスンとなるDを教えた。
Dは15歳、1月のボストンの教会でのコンサートを聴いて、
『オーボエの音色に魅せられました。ぜひオーボエを教えてください!』と直接言ってきたのだ。
よくある一瞬の気の迷いかな、としばらく返事はしないでいたら、毎週、日曜礼拝で会う度に『あの・・レッスン始めたいのですが』とか、『楽器を手に入れて練習を始めています』などと言って来るので、ついに今日、第1回目のレッスンをしてみたわけだ。
ド・レ・・・ミャァー・ファ・・ゾーッ・・と、延々1時間余り。
さずがの我が娘も、聞きなれない音の連続に、お昼寝タイムを妨害されたようで、機嫌が悪かったぞ。
彼の持っている音は悪くないような気もするが、こういうレッスンを続けるのは忍耐がいる。
まあ、誰でもやり始めというのはあるのであって、初めてのレッスンなんて、このようなものだと予想はしていた。
では何故、Dのレッスンをやってあげたのか。
Dの、やってみたい!という気持ちに押されたのである。
Dのように若い人の『これをやってみたい。こうしたい。これが好きだ。』という気持ちは、大切にしてやりたい。
思えば、自分も今までその想いだけで生きてきた。
誰かが良いといったなんて関係ない、
何か始めるときは紹介など待たずどんなに『偉い』先生にも直談判、
世間の評価はいつも二の次、
自分がこれだ!と思ったことが全ての選択の基準。
当たり前だと思うのだが、現実的には、様々な雑音が入ったり、大人の思惑や顔色伺いが関ってきて、意思を貫き続けるのは(特に日本では)エネルギーがいるようである。
でも、これだけ世界が近くなり、便利な世の中になり、情報も豊かで、様々な考え方・生き方を選択できる自由な時代には、自分の意思や、『これだ!』を見抜く力は益々、重要になると思うのだ。
まあ、自分の『これだ!』を信じてやってきたとは言っても、両親や先生等周りの大人たちは、若尾圭介のオーボエ人生を全うさせるために、裏でもいろいろと動いていたんだろうな、とは思う。顔色伺いなど未だに苦手なタチなので、両親はあちこちに謝りに行ったり、品物を届けたり、よくしていた。随分経ってからそういうことに感謝できるようになった、というのも本音だが。
でも、若い人には言いたい。周りの大人達を動かすくらいにならないと、と。
自分の『これだ!』がはっきりしていて、一心不乱に頑張っていれば、心ある大人はキミの為に、なんらかの協力をしてくれるはずである。
また、それが、『大人』の大事な務めのひとつであるとも思うのだ。
なんだか長くなったが、そんなわけで、Dに動かされて始まったオーボエレッスンなのである。
この先どうなるか。食いついてきてくれれば良いけど。